つい最近、八百屋お七の命日が3月29日だと知って、
「もう少し生きていられたら、亡くなる前にもう一度、
桜を見られたでしょうに‥」
と、お花見シーズンの今、とても切なくなった。
お七の罪は、火事で避難したさいに出会った寺小姓と恋に落ち、
火事になれば、また会えると考えての放火だった。
当時は放火の罪は『火あぶりの刑』(極刑)
と、ここまでは知っていたが、市中引き回しの上、
火あぶりの刑に処せられたとは知らなかった(*_*;
柴田錬三郎の「毒婦伝奇」という本に(この本のタイトルすごいよね)、
死罪人の市中引き回しについて、記載されている部分があり
真実かどうか?分からないが、読んでいると悲しい‥。
『悪事を積み重ねて、十度生まれ変わっても
罪滅ぼしの出来ぬ極道者などは、娑婆(シャバ)の見納めと、
引き回しをかえって喜び、鼻歌などを歌っております。
図太い奴は、見物の女子衆をからかったりなどいたします。
今日一日の命の者でございますから、たいていのワガママは
聞いてやることになります。
店先に並んでいるものを見て
「あれが食いたい」と申せば、それを取って与えました。
酒だけは、酔って暴れることを警戒して与えませんでしたが、
見物衆の中で施す者があれば、ひと口ぐらいは飲ませました。
身内の者が駆け寄れば、お役人衆は、馬を停めてやり
泪の別れもさせてやったものでございます。
もっとも、死罪引き回しの恥をさらして居るのでございますから、
身内の者が声をかけて寄って来ることなど、
滅多には見られぬ光景でございました。』
まだ、16歳か18歳(諸説ある)だったお七が
市中引き回しをされたなんて知らなかったって!!
そのとき、恋しい人は駆け寄って来てくれたのだろうか?(泣)
確かに今でも放火は大罪なんだろうが、現代においてまで
「八百屋お七」が幼い少女の悲恋物語として
知られているのが、よくわかる気がする‥。
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