2010年4月8日木曜日

「八百屋お七」 市中引き回し

つい最近、八百屋お七の命日が3月29日だと知って、

「もう少し生きていられたら、亡くなる前にもう一度、

桜を見られたでしょうに‥」

と、お花見シーズンの今、とても切なくなった。

お七の罪は、火事で避難したさいに出会った寺小姓と恋に落ち、

火事になれば、また会えると考えての放火だった。

当時は放火の罪は『火あぶりの刑』(極刑)

と、ここまでは知っていたが、市中引き回しの上、

火あぶりの刑に処せられたとは知らなかった(*_*;

柴田錬三郎の「毒婦伝奇」という本に(この本のタイトルすごいよね)、

死罪人の市中引き回しについて、記載されている部分があり

真実かどうか?分からないが、読んでいると悲しい‥。

『悪事を積み重ねて、十度生まれ変わっても

罪滅ぼしの出来ぬ極道者などは、娑婆(シャバ)の見納めと、

引き回しをかえって喜び、鼻歌などを歌っております。

図太い奴は、見物の女子衆をからかったりなどいたします。

今日一日の命の者でございますから、たいていのワガママは

聞いてやることになります。

店先に並んでいるものを見て

「あれが食いたい」と申せば、それを取って与えました。

酒だけは、酔って暴れることを警戒して与えませんでしたが、

見物衆の中で施す者があれば、ひと口ぐらいは飲ませました。

身内の者が駆け寄れば、お役人衆は、馬を停めてやり 

泪の別れもさせてやったものでございます。

もっとも、死罪引き回しの恥をさらして居るのでございますから、

身内の者が声をかけて寄って来ることなど、

滅多には見られぬ光景でございました。』

まだ、16歳か18歳(諸説ある)だったお七が

市中引き回しをされたなんて知らなかったって!!

そのとき、恋しい人は駆け寄って来てくれたのだろうか?(泣)

確かに今でも放火は大罪なんだろうが、現代においてまで

「八百屋お七」が幼い少女の悲恋物語として

知られているのが、よくわかる気がする‥。

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