週刊誌で見た曽我綾子さんの言葉が、ひっかかる(-.-)
「孤独死って、いつのまにか死んでいたと、
社会の不名誉のようにいわれますが、
文明の豊かさの象徴だと思いますね。
アフリカでは孤独死なんて出来ないです。
住居は、3畳ほどの窓もない土間の小屋ですよ。
貧しいからドアもボロ切れがかかっているだけ。
周囲に見つからないように死ぬなんて出来ません。」
そうか‥。見方を変えればそうとも言えるのか。
見方を変えるというより、もっと広い視野で見ればとも言えるな‥。
孤独死できる環境か‥。
確かに例えば小さな部屋に3人で暮らしていて
誰かが亡くなれば、すぐに同居人が見つけるだろう。
住宅事情は本当に良くなった。
古いアパートの部屋の間取りや設備を調べると
4畳半一間・台所とトイレは共同・
お風呂無し物件が今でもあるけど、
昔はこんな物件、けっこう多かったんじゃないだろうか。
家族がいなくても経済的理由で
小さな部屋に数人でルームシェアする人もいるけど、
ある友達は地方から就職で大阪に出てきて
会社の寮に住んでいたが、2人一部屋で
同居させられた同期と気が合わず、
寮の門限が厳しくて窮屈だったこともあり
結局その友達は会社を辞めてしまった(・_・)
小さい部屋でも住宅の設備は格段に良くなり、
一人で1部屋に住めるようになったのはいいが、
自由と孤独は背中合わせ。孤独死が増えて来て
今や日本の社会問題に‥(-_-;)
家族と暮らしていても、先立たれたら一人暮らしになるし、
いずれは誰もが亡くなるのは必然だが、
亡くなってから何ヶ月も発見されない事が問題なんだよなぁ。
それも物質的な豊かさの象徴とも言えるんだろうか?
なんだか答えの出ない事をつらつら書いてしまったが、
孤独死云々のみならず、曽根さんの
「アフリカでは孤独死なんか出来ない」
との言葉に、自分の視野が狭くなってるような
気がしてドキッとした事も書き留めておく。
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